シンディ・ローパー

シーズ・ソー・アンユージュアル 30thアニバーサリー&グレイテスト・ヒッツ
ジャパン・ツアー2015

1953年 6 月22日、ニューヨーク市ブルックリンで生まれる。12歳にしてギターを弾き、歌詞を書き始める。1980年マルチ楽器奏者John Turiとバンド「ブルー・エンジェル」を結成する。1980年にはセルフ・タイトルのデビュー・アルバムをリリース。(ソロ)デビュー・アルバム『She's So Unusual』は年末にリリースされ、アメリカだけで450万枚、全世界で800万枚という驚異的なセールスを記録する。また、女性アーティストとしてアルバムからトップ5シング ルを4曲(『Girls Just Want To Have Fun』 『Time After Time』 『She Bop』 『All Through The Night』)も創 出したのは初めてのこと。1985年 今や歴史に残るキッズ映画の名作『グーニーズ』のテーマ・ソングを提供。テー マ曲『(The Goonies 'R')Good Enough[グーニーズはグッド・イナフ]』はトップ10の大ヒットとなる。全米シングル・チャートで2週連続No.1を獲得したSg.『True Colors』でシンディはグラミー賞にノミネートされる。また、今作 のワールド・ツアーの皮切りを初来日記念公演で飾る。東京5回、大阪2回、名古屋・静岡で各2回、計9回で延べ10万人を動員、海外女性アーティストの単独公演の動員記録を樹立する。シングル『IDrove All Night』で再びグラミー賞にノミネート。1994年 9月、初のベスト・アルバム『Twelve DeadlyCyns... And Then Some(グレイテ スト・ヒッツ)』をリリース。 2005年 デビュー25周年。米国の同性愛者やその家族や友達を支援する団体PFLAG (Parents,Families and Friends of Lesbians and Gays) の「Stay Close Campaign」に姉妹で参加。

2011年3月11日。東日本大震災が起きたその日、シンディ・ローパーは「メンフィス・ブルース・ジャパン・ツアー」のために来日。刻々と伝わる深刻な状況に心を痛めながらも、シンディはコンサートを中止せず、日本を元気づけるために予定通り歌うことを決意。日本を勇気づけてくれる魂の歌の数々を披露してくれた。「音楽の力」を見せてくれた。
また2012年3月も、再び日本の地を訪れジャパン・ツアーを行う。被災した石巻へ自ら向い、小学生の子供たちと触れ合い、桜の木を植樹。外国人特派員協会のインタビューを受け、全世界へメッセージを発信した。日本の現状を忘れないでというメッセージと共に公演では日本語で「忘れないわ」を歌い、日本中の人々に再び勇気と力を与えてくれた。

2012年にはニューヨーク・タイムズ紙ベストセラーとなった自伝『トゥルー・カラーズ シンディ・ローパー自伝(Cyndi Lauper: A Memoir)』を上梓。この自伝は、クイーンズで育った激動の日々、30年以上にわたるキャリアの波乱万丈、名声に対するジレンマ、そして自身の財団「トゥルー・カラーズ・ファンド」を設立するに至った平等への権利擁護などについて書かれている。

2013年、シンディが作詞作曲を手掛けるブロードウェイ・ミュージカル『キンキー・ブーツ』が第67回トニー賞の最優秀スコア部門他6部門受賞、また同作品は2014年第56回グラミー賞でも最優秀ミュージカル・シアター・アルバム賞を見事受賞した。

多才なアーティストにして音楽界で最も愛されるアイコンの一人であるシンディ・ローパーは、世界中で5,000万枚以上のアルバムを売り上げ、これまでに自身の作品ではグラミー賞1回、エミー賞1回、トニー賞1回など、そのたゆまぬ活動に対して数え切れないほどの賞を受賞している。これまでに11作のスタジオ・アルバムをリリースしており、グラミー賞にノミネートされた『メンフィス・ブルース』はビルボードのブルース・チャートで14週連続首位に君臨し、2010年に最も売れたブルース・アルバムとなった。シンディ・ローパーはその物語として名高い音楽的キャリアを通じ、グラミー賞に15回、アメリカン・ミュージック・アワードに2回、アメリカン・ビデオ・アワードに7回、MTVアワードに18回ノミネートされている。