シンディ・ローパージャパンツアー2012 Cyndi Lawper japan tour 2012 2012 新潟公演 新潟県民会館 3月7日(水) 2012東京公演 BUNKAMURAオーチャードホール 3月9日(金)3月10日(土)3月11日(日) 2012名古屋公演 愛知県芸術劇場大ホール 3月15日(水) 2012大阪公演 グランキューブ3月13日(火) あの時から1年、シンディがまた日本に帰ってくる!

お帰りなさい!本当に来てくれたんだ!
思わず「お帰りなさい!本当に来てくれたんだ!」と、シンディに抱きつきたくなる人は多いことでしょう。

 昨年、2011年3月11日。東日本を巨大地震が襲った、まさにあの日、あの時刻。シンディを乗せた飛行機は、成田空港に着陸しようとしていました。

 そして着陸できないままに、名古屋、大阪と行き先を変更。結果、一時的に横田米軍基地に着陸。入国手続きができる羽田に向かうと、機内のシンディから直接日本の関係者に連絡が来て、プロモーターが急遽羽田に向かったものの、地上はどこも大渋滞。9時半に羽田に着いたシンディが、都心のホテルにチェック・インできたのは、午前3時を過ぎていました。

 翌朝から、シンディが見ていたホテルの部屋のCNNやBBCなどの海外放送は、すでに悲惨な津波の映像と共に、福島第一原発のシリアスな情報を、繰り返し放送していました。 12日に1号機での水素爆発が起きた時点で、「ただちに問題は無い」という記者会見が流れる日本の放送と違って、アメリカ政府は自国民に原発から80キロ以上離れるよう命令。MOX燃料を使っている3号機が黒い煙を出して爆発を起こした14日と、2号機が炉心溶融と水素爆発を起こした15日には、私たちが見られるネット情報でも、東京をはじめとする西日本方面には高濃度の放射能が風で運ばれており、遂にフランス政府は自国民に、東京からただちに避難することを国家命令として発令。チャーター便を飛ばして、フランス人の救済に乗り出したのです。


 当然のことながら、アメリカでそれらの報道を見ている家族や関係者からは、シンディやバンド・メンバーに、即刻公演を中止して帰国するように、という電話が殺到。余震と停電で、日本サイドも浮き足立っていました。
 日本での初日は、3月15日の名古屋です。ともかく無事に迎えた名古屋公演で、何度も客席に降り立ったシンディは、「日本人はいつも頑張ってきた。あなた達なら大丈夫!みんなで元気を出して頑張ろう!ガンバッテ!!」と日本語を交えて呼びかけ、客席と一体となって大感動のうちに終演。でもその直後に今度は静岡でかなり大きな地震が発生。16、17、18日と続く東京公演を目前に、新幹線が動かなかったらどうしよう!と、舞台周りの担当者も、楽器を運ぶスタッフも、誰もの顔が蒼ざめていったのでした。


 そんな中で、シンディはキッパリと、「私は何があってもステージを続けます。こんな時に、日本の友人たちに背を向けて逃げ出すことは出来ない。私が愛する日本のためにやれることは、歌うことだけだから」と、公演の続行を宣言。同行するミュージシャン達にも自ら深々と頭を下げて、幸運にも動いてくれた新幹線で東京に戻ってくると、コンサートの最中に停電になるかも知れない不安な状況の中で、東京初日の幕を開けたのです。


 電車はいつ停まるか。いつ東京にも避難命令が出るか。公演の最中に大きな余震が来て場内が真っ暗になったらどうしよう・・・。 毎日会場に足を運びました。最初にシンディと会ってから、27年という歳月が流れた中で、シンディにも私にも深刻な別れのドラマがあり、シンディはその後結婚して出産、やっと14才になった大切な一人息子をニューヨークに残して来ていますし、私は3月11日に初孫の満1才の誕生日を迎えていました。


 そうよ、私たちが今、若い未来、次世代のためにがんばらないで、誰が頑張るの?という想いは、シンディと私の中に国境や言葉を越えて、共通してあったように思います。


 とにかく、素晴らしく熱くて、優しくて、誠実で、しかも充実したコンサート。実に見事な歌唱力でした。メンフィスからやって来た渋いブルースメンをバックに、日本からはフリューゲルホーンの第一人者であるイケメンのジャズマンTOKUさんをゲストに迎えて、グラミー賞のベスト・ブルース・アルバムにノミネートされたアルバムの中からの楽曲もやってくれましたけれど、例えば「シー・バップ」や「グーニーはグッドイナフ」「シャイン」「オール・スルー・ザ・ナイト」などシンディ自身のヒット曲を、シャウトしたりジャンプしたりするブルースの中に実に巧みに混ぜ合わせて、思わずその見事さにウナってしまうような歌唱を聞かせてくれたのです。


 シンディも泣いたし、私たち観客も泣きました。毎回アンコールで聞かせてくれた「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハブ・ファン」には山盛りの元気を貰い、その後の「タイム・アフター・タイム」やTOKUさんとの掛け合いで歌われる「トウルー・カラーズ」には、思わず涙がポロリ。シンディは私たち日本人にとって、まさに弁財天、観音さま、菩薩さま、永遠の母性なのだと、何度胸を熱くしたことでしょうか。


 東京公演の後の20日、21日と続いた大阪公演では、ファンから手渡された日の丸の旗を背に羽負って、舞台狭しと動き回り、会場に来れなかった人のためにと、最終公演をニコニコ動画で配信。開演2時間前の告知だったにも関わらず、最後には13万人を越える人がアクセス。広く年齢を越えて、感動の嵐を巻き起こしています。


 思えば’94年、東京でステージから転落して、脚を数十針も縫うという大怪我をした時も、車椅子と杖で全公演を決行して、その熱演に大感動の記憶を残してくれたパフォーマーですし、’96年の節分には、阪神淡路大震災の復興を願って、わざわざ神戸の生田神社で行われる節分祭に参加。美しい振袖姿を見せてくれたシンディでした。


 自分は前世日本人だったかも知れない・・・というほど、時には命がけの愛情を見せてくれるシンディの姿を、私は1人でも多くの日本人に見て貰いたいと思っています。そこに在るのは、ひたすらな愛であり、奉仕の心であり、言葉を越えた音楽の力なのですから。 そしてそれこそが、今の日本に、お金よりも、利権や政治力よりも、何よりも必要な大切なものだと思っています。

2011年12月
音楽評論家・作詞家
湯川れい子



音楽評論家・作詞家 湯川れい子

東京都目黒で生まれ、山形県米沢で育つ。昭和35年にジャズ専門誌 「スウィング・ジャーナル」 への投稿が認められ、ジャズ評論家としてデビュー。その後、17年間に渡って続いた「全米TOP40」を始めとするラジオのDJ、また早くからエルヴィス・プレスリーやビートルズを日本に広めるなど、独自の視点によるポッ プスの評論・解説を手掛け、世に国内外の音楽シーンを紹介し続け、今に至る。作詞家としては、代表的なヒット曲に「涙の太陽」、「ランナウェイ」、「センチメンタル・ジャーニー」、「六本木心中」、「あゝ無情」、「恋におち て」等があり、「FNS歌謡祭音楽大賞最優秀作詞賞」、「JASRAC賞」、「オリコン トップディスク賞作詞賞」等、各レコード会社のプラチナ・ディスク、ゴールド・ディスクを数多く受賞。またディズニー映画「美女と野獣」、「アラジン」、「ポカホンタス」、「ターザン」等の日本語詞も手掛けている。

湯川れい子公式サイト:http://www.rainbow-network.com

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シンディ・ローパーメンフィスへ愛をこめて 2011.11.23on DVD\3,990

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